100年前にも水琴窟はあります

大器の器活動ブログ


どうも、今日も水琴窟を作ってます。
水琴窟は陶琴陶芸家の奥田大器です。
最近のiPhoneの写真はクセが強い。

めっちゃ広角に撮れるんですよ。工場の天井がグワ∼っと覆いかぶさってくる感じでしょう。これ何にも取る側は工夫してないからね。全部iPhoneのカメラが勝手にやってくれる。どうなってるんでしょう。勝手にCG的な補正を入れてるんでしょうか。スマホの技術の進歩は驚異です。

進み過ぎた科学は魔法と変わらない。100年前、1921年の人間から見たら現代人は魔法使いでしょう。その当時はライカのカメラ一台で家一軒分の値段がしたそうです。(ひょっとしたら違うかもしれないから気になる人は自分で調べて)それが皆手のひらに恐ろしい機能のカメラを持っている。しかも撮った物が勝手に記憶されていてどこからでも見る事が出来る。現像だって無いんですよ。子供が何の気なしにシャッター押しても美しい写真が撮れる。

露出やらシャッタースピード考えなくても勝手に調節してくれる。それに電話が付いてるんですよ。それもテレビ電話。外国の人ともテレビ電話が普通に使える。(下手したら宇宙にだって繋げられる)全部手の平で。こんなもん大正10年の人にとっては魔術でしょう。日本でメートル法が公布されたのが大正10年ですよ。平民宰相原敬が刺されたのが大正10年。信楽とも馴染みが深い大塚製薬が設立されたのも大正10年。

そんな事に思いを馳せながら陶琴を窯に入れました。そんな100年前にはすでに水琴窟はありました。一説には江戸時代後半に庭師が武家屋敷等に設置しだしたそうです。

函館五稜郭内の奉行所跡からは信楽焼製の甕を使った水琴窟跡が発見されています。これ五稜郭に行ったらマジで書いてあるから。信楽焼という事まで解っている。俺その説明書き実際に見てびっくりしてんもん。全国に流通していたんですね。函館まで運ばれて奉行所の玄関に埋めて設置されていたのです。多羅尾の代官所にも水琴窟が設置されていました。当然信楽焼だと思います。

100年前とある種同じ物を作ってるんですからよく続いてるんだなと思います。100年前よりはいい水音を響かせないとあかんなと思います。信楽の先人を越えていけ。

【大器の器Ch】

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