水琴窟の”水音”を訪ねる旅(12)【後編】滋賀県甲賀市 多羅尾代官所跡

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多羅尾代官所跡に発見された”水琴窟”跡
そのレポート、後編です。

前回までの水琴窟情局はこちら
水琴窟の”水音”を訪ねる旅(12)
【前編】滋賀県甲賀市 多羅尾代官所跡

前編では多羅尾の説明で終わってしまいました。
この後編で水琴窟跡に迫ります。

この上の写真が代官所跡の入り口です。
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これが当時の写真です。
ほぼ同じアングルです。

水琴窟はこの陣屋の中の部分から発見されました。
この写真の門をくぐる形で上がって行きます。
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階段を上がって行きます。

この上が・・・、
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こんな感じで開けています。
ここに中庭が広がっていたんだと思います。

この奥に、
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民家跡があります。

その前にロープで囲われた一角が!!
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これが多羅尾代官所に設置されていた
水琴窟跡です。

しっかりと甕が埋まっています。
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反対側のアングルどうぞ!!

結構深い。
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もう一丁どうぞ。
なんせこれしか写真の撮り様がありませんから・・・。

民家がある場所から考えるに、
陣屋の中心の入り口に設置されていたと思います。
周りの石の配置から見ても
水音を聴く為の物だったとも違うと思います。

実はこれに似た水琴窟跡は、
函館の五稜郭でも発見されています。
五稜郭が出来たのは江戸末期ですから
この手の”水琴窟装置”が幕末に流行ったのではないかと
僕は考えています。

因みに五稜郭で発見された水琴窟には
信楽焼の甕が使われていたそうです。
という事は信楽は当時から甕の産地だったと思います。

冷蔵庫も水道も無い時代、
“甕”は重要な水や食料の貯蔵庫だったと思います。
現代の白物家電みたいな感覚で
全国に信楽の甕が広がっていたのかも知れません。
近江商人が買い付けていたのかも知れません。

で、この水琴窟装置ですが
来客を知らせる為の物だったのではないかと
考えています。
この上に板を敷いて踏むと
甕から反響した音が周りに響く。
(五稜郭のも同じ目的だったそうです。)

本当にそんなに音が響くのか?
響いたらどんな音なのか?
興味が絶えません。
ホンマに出来るのかなそんな事。

でも奥田大器はその様に考えています。
その方が純朴水琴窟陶芸家としてロマンがある。

こんな水琴窟を応用した装置が
幕末の全国各地の武家屋敷にあった。
武家の嗜みとして水琴窟を重宝する。

良いじゃないですか。
創作意欲も湧くもんです。
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この水琴窟跡の横には
こんな石塔も建っています。

これからも庭にあったのは
間違いないと思います。

水琴窟陶芸家の親元から
近世の水琴窟が発見される。
これは完全に縁です。
(本当に親元の近所です。)

これからも水琴窟作りに邁進して行きます。

これにて第12回水琴窟の旅後編終了です。
皆様、不定期ですが第13回も待っててね。
今回はさようなら。

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